「貧困層」の気持ち

下村博文衆議院議員の生立ちについて触れてみよう。

・1963年、小学3年生の時に父親がオートバイの飲酒運転で死去。その後、母がパートをして3人の子供を育てる。交通遺児育英会交通遺児奨学生第1期生となり、群馬県立高崎高等学校早稲田大学教育学部を卒業。大学4年生の時、友人らと共に小学生対象の学習塾「博文館」を開設。
早稲田大学時代に雄弁会で幹事長を務めた経験などから、政治家を志すようになった。

・1985年東京都議会議員選挙・板橋区新自由クラブから出馬、落選。1989年東京都議会議員選挙に民社党社民連・進歩党推薦の無所属候補として初当選。1993年東京都議会議員選挙に自民党から出馬、再選。

政治家にとって、地盤は生命線で、多くの世襲議員にはそのような苦労はなかったと思う。しかし、下村議員は、そういった地盤を持たず、父親も幼くしてなくしているというハンデを背負って国政に望んだ。

下村議員には、俗にいう「貧困層」の気持ちが、理解できるのである。

こればかりは、どんな有能でも、世襲議員たちには理解できないであろう。

つまり、下村博文国会議員こそが、本当に国民が理解でき、国民が望んでいることがわかっているということだ。